心の社会 のバックアップ(No.4)
1・エージェント知能は知能でないものからどのようにして現れてくるのだろうか? 心がたくさんの小さなプロセスからできているという考え方を「心の社会」と呼ぶことにする。 心についてのどんな理論も、その理論がまともなら、すくなくとも3つの長さの時間が関係してくる。
心とはなにかを説明するには、心ではないものから心がどのようにして作られるかを示さなければならない。 つまりエージェントというのはなんなのか?
一つ一つの問をみると、どれも難しい。 2・脳と心脳は固体のように見えるのに、思考のようなつかみどころのないものを支えている。 このような状況は数世紀前にも同じだった。 それと同じように、わずか一世紀前には、思考を説明する方法は、基本的に何もなかったと言っていい。 今でも、機械が意思を持ったり、野心や嫉妬やユーモアをもったりすることなど出来るわけがないとおもってるひとが殆どだ。 3・心の社会心が社会のようなものだということを理解するために、自分自身でこう思ってみてほしい。
こうしたエージェントたちがはたらいたからといって、自分の心が疲れてしまうことはない。 それでは、平衡を保つのに、いくつくらいのプロセスをかんがえればいいだろうか。 このようなことは、私たち自身が話している最中に起こりうる出来事であるので、そういうことをするのに思考をそんなに必要としているとは思えない。 科学では、もっともつまらなく思えるものを研究することによって、もっとも多くのことが得られる。 4・積み木積み木で遊んでいる子どもを考えてみよう。 なぜ、いろいろな物事をこんな小さな部分に分ける必要があるのだろうか? もしも積み木を積むことなんてくだらないと思うなら、小さい頃からずっとそう思っていたわけではないということは思い出してほしい。
という仮説である。 5・常識さて、塔を作るエージェントをいろいろな部分から構成する方法はわかった。
こうしてみると、また新たな疑問がわいてくる。 常識がそれほど多様で入り組んだものなら、なぜそんなに当たり前で自然なものに思えるのだろうか? 6・エージェンシー私たちの目的は、知能をもっと小さなものの組み合わせで説明することである。 こと問の答えは、つまり、それぞれのエージェントを別々に説明しただけでは不十分だということだ。 したがって、話を進めるために、エージェントについて2つの見方をしてみよう。 作り屋は塔のつくり方を本当に知っているのだろうか? たとえば、自動車を運転しているときに、ハンドルは方向を変えるのに使えるエージェンシーだとみなしている。 「どのようにして」を知ることは「なぜ」を知ることとは違うことなのである。 コメント
|
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示