フレーム の変更点
#style(class=submenuheader){{ *1・思考の速さ }} #style(class=submenu){{ 部屋にはいると、一度に全部の情景が見えるような気がする。 実際には、細かいとろこまで全部を理解し、それが自分の期待していることに合うかどうかが分かるには時間がかかるが、 しかし、それでもなお、視覚的な手がかりは無数にあるのに、どうしてそんなにも速く、一貫して見えるようになるのか? まるで見えてないと思えるほどの視覚の速さをどう説明したらよいだろう? この速さの秘密は、視覚が記憶がっちり絡み合っているという点にあるだろう。 この速さの秘密は、視覚と記憶がっちり絡み合っているという点にあるだろう。 たとえば、いましがた会ったばかりの誰かと顔を合わせると、ほとんど瞬時反応してしまう。 だたし、見たものそのものに対してよりも、''見たものによって思い出したもの''の方に速く反応するといったほうがいい。 同じ事は言語についても言える。 たとえば「アマガエル」という言葉を聞くと、どこからきたのかとか、地面にぶつかったときどうなったとか、その災害はどうして起こったのかとか、あのアナウンサーは気が狂ったのではないかとか、いろいろな考えがあっというまに心の中に広がる。 「アマガエル」というたった六文字しかいらないのである。 どうしたら、こんなにすこしのてがかりから、こんなに複雑な情景をおもいうかべられるのだろう? 心理学の古い理論では、たいてい、心がどのようにして複雑な情景を思い浮かべられるのか、という説明ができない。 なぜなら、それらの心理学の理論の基礎になっている「記憶の塊」は、小さすぎるか、また大きすぎるかの、どちらかだからである。 つまり、低レベルの手がかりだけで見え方を説明しようとしている理論や、情景全体をいっぺんに扱おうとしている理論なのだが、どちらも行き詰まっている。 あたらしい考え方は、''人工知能''にかんする研究において、すくなくともこれまでの理論よりも良い結果をもたらしてる。 それは、知覚的な経験のひとつひとつが、''フレーム''と呼ぶ、これまでの経験の中で身に着けてきたある構造を活性化する、という考え方である。 だれもが何百万というフレームを記憶している。 そして、そのフレームのひとつひとつが、特定の人に会うとか、部屋にはいるとかいった、典型的な状況を表現している。 }} #style(class=submenuheader){{ *2・心のフレーム }} #style(class=submenu){{ }} #style(class=submenuheader){{ *3・暗黙の家庭 }} #style(class=submenu){{ }} #style(class=submenuheader){{ *4・ }} #style(class=submenu){{ }} #style(class=submenuheader){{ *5・ }} #style(class=submenu){{ }} #style(class=submenuheader){{ *6・ }} #style(class=submenu){{ }} #style(class=submenuheader){{ *7・ }} #style(class=submenu){{ }} ---- **コメント [#wee17fd7] #pcomment }} |